ページの先頭です

羽村市郷土博物館 企画展・特別展 平成12年度

[2012年2月17日]

平成12年度 終了した展覧会

  • 企画展 子どものくらし〔平成13月3月11日(日)~5月27日(日)〕
  • 企画展 ひな人形展〔平成13月2月11日(日)~3月11日(日)〕
  • 企画展 まゆ玉飾り〔平成13月1月5日(金)~1月17日(水)〕
  • 企画展 阿蘇神社の文化財〔平成12年12月24日(日)~平成13年1月28日(日)〕
  • 特別展 農村の挑戦 それは蚕からはじまった〔平成12年10月11日(水)~12月10日(日)〕
  • 企画展 平和展〔平成12年8月6日(日)~9月17日(日)〕
  • 企画展 羽村の青春群像〔平成12年6月4日(日)~7月23日(日)〕

企画展 子どものくらし

企画展 子どものくらし
多摩川でカジッカを捕る子どもたち

近年、社会の変容に伴い、子どもたちを取り巻く環境も変化し、教育や家族のあり方が問われています。では、今の子どもたちの祖父母やそれ以前の年代の子どもたちはどんなくらしをしていたのでしょうか。

羽村の近代教育は明治11年(1878)に始まりました。尋常小学校と高等小学校の義務教育でしたが、家庭の事情で通学できない子どももいました。戦前の教育は軍国主義の影響を強く受け、戦後になって民主主義が導入されると、教育も一変しました。

家庭では、きょうだいが多いために年上の子どもは弟や妹の子守をし、成長すると一緒に遊びました。また、年下の子どもの着物は姉や兄のお下がりを着ました。遊ぶときは、違う学年の子どもたちが一緒に交じって遊び、身のまわりにあるものを工夫して遊び道具を作ったり、ものを使わない遊びを考え出したりしました。こういった中から、ものを作ることや工夫すること、人間関係などを自然に学んでいったのです。しかし、遊んでばかりはいられず、特に農家の子どもは学校へ行く前、帰ってからと忙しく家の手伝いをし、時には学校を休むこともありました。

子どもたちの楽しみは、お祭りや成長の節目のお祝いなどでした。これらは、親戚や近所づきあいによって成り立っていました。

この企画展では、主に大正から昭和20年代までの子どもたちのくらしを、五つのテーマで取りあげてみました。この企画展によって、かつての子どもたちのくらしを知り、これからの子どもたちの生活環境を考えていくきっかけになれば幸いです。

期間

平成13月3月11日(日)~5月27日(日)

会場

企画展コーナー

入場料

無料

企画展 ひな人形展

企画展 ひな人形展
御殿びな

当館では、毎年ひな人形展を開催しています。今年は、新しく寄贈されたものも含めた江戸時代から平成までのひな人形がご覧いただけます。

見どころは、江戸時代の立ちびなやだいり内裏びな、昭和初めに流行した御殿びな、現代の衣裳人形の製作に関する展示などです。人形の製作については、所沢の人形師(着せ付け師)の小寺香氏にご協力いただきました。

<展示した主な人形>

立ちびな・内裏びな・裃(かみしも)びな・御殿びな・土人形・木目込み人形・ひな段飾り・高砂・浮世物の人形など

期間

平成13月2月11日(日)~3月11日(日)

会場

企画展コーナー・学習室・旧下田家住宅

入場料

無料

<展示解説>

展示を見ながら、ひな人形の変遷や羽村のひな祭りの風習についてお話しします。

開催日

毎週日曜日

時間

午後2時~2時30分

申込み

不要。当日、受付前にお集まりください。

参加費

無料

企画展 まゆ玉飾り

企画展 まゆ玉飾り
まゆ玉飾り

かつて養蚕が盛んだった羽村では、新年のまゆの成功を願って、小正月にまゆ玉飾りをしました。石臼に固定したツゲやウメの木に、だんごやミカンを飾り付けました。

市内の子供たちに協力していただき、当時と同じようにだんごをこねて作ったまゆ玉飾りを展示します。

期間中は羽子板や破魔矢などの正月飾りも展示しています。

期間

平成13月1月5日(金)~1月17日(水)

会場

オリエンテーションホール・旧下田家住宅

入場料

無料

企画展 阿蘇神社の文化財

企画展 阿蘇神社の文化財
阿蘇神社

阿蘇神社は、社伝によると推古天皇9年(601)の創建と伝えられています。平成13年は、新世紀の記念すべき最初の年であるとともに、阿蘇神社創建1400年の年でもあります。以来、長い歴史の中で羽村のその時を見つめ、数々の文化財を残してきました。

阿蘇神社に伝来する文化財は、これまで歴代の宮司家により大切に保存されてきました。これらの文化財は、本殿修理や神輿の学術調査等によって断片的に知られてきたものの、一堂にしかも実物を展示公開する機会は、今回の企画展がおそらく最初でしょう。

今回展示する資料は、ほとんどすべてが阿蘇神社からお借りしたものです。その1点1点を見てみますと、どれも学術的に貴重なものであるとわかります。そして、阿蘇神社がこの地域の中で、いかに重要な役割を果たしていたかを実感することができます。

21世紀を迎えるにあたり、阿蘇神社の貴重な文化財を通して、郷土の歴史を振り返り、文化財の保護について考える機会となれば幸いです。

阿蘇神社

多摩川の悠久の流れのほとりに阿蘇神社は鎮座しています。祭神は主神として健磐龍命、阿蘇都媛命、速瓶玉命の3座で、他に配祠として9座が祀られています。『西多摩神社誌』によると、その由緒は次のように記されています。

「旧称は阿蘇大明神、長淵郷総社竜水山阿蘇宮、または阿蘇宮と称した。創建は推古天皇9年(601)5月と伝えられ、領主武門の崇敬が厚く、承平3年 (933)平将門が社殿を造営した。以後藤原秀郷、三田掃部助定重もまた社殿を造営した。小田原の北条氏は永20貫文の神領を寄せ、徳川家康は、2丁四方の馬場を寄進、神馬を放ったという。さらに家光公は13石の朱印地を寄せ、代々家例とした。慶応4年(1868)朱印状を奉還、神領を上知した。明治政府より逓減録金50円を下賜。明治2年阿蘇神社と改称。当社は『和漢三才図絵』、『国花萬葉記』、『武蔵国全図』等の名所案内記に「阿蘇明神在羽村社領24 石」とみえ、当地方の古社である。」

 

平成13年は、21世紀の幕開けと同時に阿蘇神社鎮座1400年の記念すべき年でもあります。阿蘇神社の現在の本殿は、東京都指定有形文化財に指定されており、昭和61年(1986)の解体修理等の調査から、延宝4年(1676)の再建と判明しています。一間社流造、こけら葺きの屋根で、大棟は箱棟、軸部柱真々正面1.45m、側面1.30mを測ります。

また、社殿向かって左側に聳える大樹は、東京都指定天然記念物に指定されているシイの古木です。平将門が自ら植えたものだとか、その将門を討った藤原秀郷が植樹したというような伝説が残されています。近年老朽化が著しく、樹木医による樹勢回復治療が施されています。

期間

平成12年12月24日(日)~平成13年1月28日(日)

会場

企画展コーナー・学習室

入場料

無料

特別展 農村の挑戦 それは蚕からはじまった

特別展 農村の挑戦 それは蚕からはじまった
昭和初期の養蚕風景

「未来」の代名詞ともなっていた21世紀がいよいよ目前です。振り返ってみると、この100年は私たちの暮らしに大きな変化をもたらしました。

羽村市は江戸時代までは畑作中心の農村でした。しかし、生糸が日本の主力輸出品となると時代の波に乗り、やがて「養蚕の村」といわれるほどに成長しました。その背景には、技術の研究と普及に尽力した先覚者たちと、投機的な要素が強い養蚕に果敢に挑んだ人々の姿がありました。その後、昭和大恐慌や戦争によって農村は荒廃し、養蚕は衰退しますが、戦後は志気にあふれた青年によって村の立て直しが進められます。羽村は畜産中心の農業振興を目指し、やがて「首都圏整備法」が制定されると、農業と市街地を両立させた新しいまちづくりを目指していきました。

昭和30年代の耕耘機

当館では平成12年度特別展として、よりよいまちづくりのために挑戦し続けた農村の姿に焦点を当てて、20世紀の歩みをたどる展示を企画しました。先人たちの、先を見越した「まち」の発展に努力する挑戦を感じ取っていただき、これからの「まち」の発展に生かすことができれば幸いです。

最後に、今回の特別展開催にあたっては、農業関係者・行政関係者の皆さんをはじめとして多くの方々に甚大なるご協力を賜りました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。

<展示構成>

羽村市街の航空写真

1 養蚕の興隆
   新しい技術の導入  成進社の成立  養蚕の黄金期
2 養蚕の衰退
   不況の始まり  不況下の救済事業  桑園整理と食料増産
3 新しい農業を目指して
   農地改革  農業改革へ  新しい農業経営
4 首都圏整備法と農業の変化
   市街地開発計画構想  市街地開発区域の指定と区画整理事業
   農業経営の変化    これからの農業
5 映画上映コーナー
   記録映画「牛飼ふ村」(昭和15年ころ制作・30分)
   社会教育映画「時間のある村」(昭和29年制作・20分)

期間

平成12年10月11日(水)~12月10日(日)

会場

企画展コーナー・学習室

入場料

無料

<関連事業>

「繭から糸をひこう」
平成12年10月22日(日)・12月9日(土) 午前11時00分~午後3時30分(無料)
「囲炉裏を囲んで昔話に耳を傾けてみませんか」
平成12年11月16日(木) 午後1時30分~4時(無料)

企画展 平和展

企画展 平和展
羽村駅で出征兵士を見送る

昭和20年(1945)8月、広島と長崎に原子爆弾が投下されました。また、東京大空襲をはじめ、多くの都市が爆撃を受けて焦土と化しました。

おとなからこどもまで、さまざまな人々が亡くなり、多くの人がそれまでの生活を失いました。現在の平和な社会は、こうした大きな犠牲のもとで築き上げられてきたのです。

今回の展示では、人々が次第に戦争に組み込まれていった事実や戦争によって変わっていった生活を現しました。なぜ、戦争を避けることができなかったのか。過去は私たちに多くの教訓を残してくれています。

私たち羽村市では、過去の記憶を風化させることなく、世界すべての恒久平和を願い、やさしく美しいこの郷土とそこでのくらしを未来に引き継ぐため、平和都市を宣言しました。この展示もその一環として開催するものです。

期間

平成12年8月6日(日)~9月17日(日)

会場

企画展コーナー

共催

羽村市企画調整課

入場料

無料

企画展 羽村の青春群像

企画展 羽村の青春群像
宣伝ポスター

明治から昭和時代にかけて、今ほど自由に海外へ行くことはできませんでした。物見遊山的な海外旅行の本格化は、昭和30年代後半まで待たなければなりません。そういう時代の中で、羽村から海外へ渡り活躍した人たちがいました。

その多くは、羽村の近代を語るとき、一度は耳にする人の名前ばかりです。

坂本市郎は、自らの見聞を広めるために、アメリカ留学へと旅立ちました。シアトルの学校では優秀な成績を修めています。10年間ほどの留学生活の後に帰国した彼は、その見聞をいかんなく発揮し、村の発展に尽力しました。彼の英語力は通訳を務めるほどだったといい、最期まで英字新聞を読み続けていました。

羽村與三郎は、時機を見るのに機敏で、凍てつく北海の漁場で鮭鱒との格闘を演じ、漁業経営者として確固たる地位を築きます。また、彼のロシア語もかなりのものだったといいます。残念ながらロシア革命により、北洋漁業の事情が変わり帰国しますが、ロシアの青春時代を忘れなかったようです。

島田三之助は、日清戦争後の台湾統治に関連してか、台湾の探検に参加しています。5日間の探検の様子を克明に、かつ冷静に兄宇吉宛の書簡にしたためています。

その後、北洋漁業の有効性を看破し、羽村與三郎に助言を与えています。

並木太蔵は、カムチャッカ沿岸で操業する伊吹丸の「監督」として、その漁の様子を下田伊左衛門に伝えています。

指田文三郎は、イギリス・リバプールからアメリカ・ボストンへ渡る旅行記が残されています。中里介山と親交が深く、この旅行記も介山の紹介文に続いて記されています。

島田厚之助は、早稲田大学在学中、野球部員としてハワイへ遠征し、指田文三郎を頼ってアメリカに渡り、ニューヨーク市民となって生涯を閉じます。異国からも、郷土羽村への思いは強かったようです。

中里介山は、昭和14年(1939)にアメリカ旅行に出かけています。坂本市郎や指田文三郎の影響が、少なからずあったのでしょう。

「進取の気性」といわれる精神を、このような先人達の活躍の中から、少しでもくみ取ることができれば幸いです。

期間

平成12年6月4日(日)~7月23日(日)

会場

企画展コーナー

入場料

無料

終了した展覧会

お問い合わせ

教育委員会 生涯学習部郷土博物館

電話: 042-558-2561

お問合せフォーム