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あしあと

    平成19年度第2回羽村市文化財保護審議会会議録

    • [2010年4月22日]
    • ID:1522
    平成19年度第2回羽村市文化財保護審議会会議録
    1 日時平成19年7月20日(金曜日)
    (1)現地調査 午後1時30分~午後3時10分
    (2)会議 午後3時20分~午後4時35分
    2 場所(1)羽村市指定史跡「伝三田雅楽之助平将定等の墓」
    (2)羽村市郷土博物館会議室
    3 出席者会長 須崎新太郎
    委員 和田哲、持田友宏、坂詰智美、櫻沢一昭
    事務局 郷土博物館長 須田進午、郷土博物館係長 宮沢賢臣
    4 欠席者副会長 白井裕泰、委員 坂上洋之
    5 議題 1確認事項
     ア 平成19年度第1回会議要旨の確認について
    2議題等
     ア 羽村市指定史跡「伝三田雅楽之助平将定等の墓」の取り扱いについて
     イ その他
    6 傍聴者なし
    7 配布資料・『武藤名勝図会』「多摩郡之部 第十一 三田領之上」 写し   
    8 会議の内容

    1確認事項
     ア 平成19年度第1回会議要旨の確認について

    (会長) それでは、会議に入ります。はじめに、平成19年度第1回の会議要旨について、すでにお手元にお送りされているかと存じますが、なにかお気づきの点がありましたらお願いいたします。
     ないようでしたら、これで確認とさせていただきます。

    2議題等
     ア 羽村市指定史跡「伝三田雅楽之助平将定等の墓」の取り扱いについて

    会議に先立って、午後1時30分より羽村市指定史跡「伝三田雅楽之助平将定等の墓」現地において、石塔類の調査を実施した。

    <調査内容>
    (1)目視による線刻文字類の確認
    (2)拓本による線刻文字類の確認
    (3)石塔各部位の整合性

    <調査結果>
    目視、拓本とも、線刻文字類は確認されなかった。
    石塔各部位は、いずれも寄せ集めの可能性が高いことが確認された。
    造立時期については、中世まで遡らないことが確認された。

    現地調査の結果に基づき、郷土博物館会議室において会議を開催した。

    (会長) では、次にただいま見てまいりました「伝三田雅楽之助平将定等の墓」の取り扱いについて議題とします。
     ずっと気にかかっていたのですが、皆さんもご覧いただいたように、中央の宝篋印塔が傾いているのが危険だとの声があります。私と事務局で確認させていただき、当面は倒れる心配はないと思っているのですが、この対応について、皆さんのご意見をお伺いしたい。

    (委員) 周りに柵をすることも考えられるが、費用がかなりかかるでしょう。柵をすること自体についても検討する必要がある。

    (委員) 柵をする目的が、この石塔に子ども達が近づいて倒れたときを予想してのものですね。もともと五輪塔は倒れやすいものだから、柵をしてもこれを乗り越えた場合には同じことになると思います。危険防止でやるなら、乗り越えられないようなものを造る必要がある。そうなると経費も相当な額になってしまう。それよりも、当面必要なことは、傾きを直して、倒れる危険性をより少なくするということが重要ではないだろうか。

    (委員) 傾きを直すということは、教育委員会の負担でするようでしょうか。

    (事務局) 原則的には、敷地を管理している一峰院がするべきことになります。ただ、今日見た限りでは、下の砂利を均してあげれば水平に戻ると思います。作業自体はそんなに大掛かりなことにはならないでしょう。

    (委員) 宝篋印塔のほかに五輪塔もやや傾いていたような気がしますが。

    (事務局) 若干傾いているかもしてません。ですので、一峰院に対して「やや傾いているので直してください」という内容の通知をだして、一峰院から相談があれば、教育委員会としても何らかの対応をとることは吝かではないので、相談にのることはできます。ただ、なしのつぶてになってしまうと少し怖いのですが。

    (会長) では、一峰院に対して、今日の会議でも文化財保護審議会委員から意見が出、市民からの声もあるということで、教育委員会の方から通知を出しておいてください。そういうことでよろしいでしょうか。
     では、本来の取り扱いの件について協議したいと思います。前回の資料と今回の資料を見比べながら、先ほど調査した内容を参考に、問題点を出していただきたいと思います。

    (委員) 私が、非常に疑問だと思うのは、説明板の2行目に「応永31年に一峰院を開いた三田雅楽之助云々の墓といわれています」と書かれていますが、開基の墓が歴代住職の墓地になくて、全然境内から外れた隅の方にあるということが理解できないのですが。普通は開基の墓はお寺の中でしかるべき扱いをされているはずです。

    (委員) 一峰院との関わりがよくわからないということですね。

    (委員) 開基の祀りだとか供養といったことをすると思いますが、そう言う時にあそこをどのように使っているのか、使っていないとしたら、開基の墓としての扱いをしていないのではないかと思うんです。

    (委員) 一峰院の住職は、よく代わっているようで、入れ代わりがあるんです。歴代住職の墓というのは、裏の墓地の中にあります。あの中には開基の墓はないのだろうか。しかし、あそこにあるのは比較的新しい、近世以降のものでしょうね。

    (委員) この「いわれています」というのは、文献資料にあたっているのだと思うが、説明板ではいちいち書かないから、省略しているのでしょう。それよりも、「伊奈石」は当然訂正でしょう。

    (委員) 「伊奈石」は「砂岩」でいいと思います。砂岩の層は伊奈に限らず割とあります。

    (委員) 「三田雅楽之助の墓」という部分は、いちいち文献を書くとややこしくなってしまう。

    (委員) 宝篋印塔に関しては、「室町後期の様式」とありますが、これでいいのでしょうか。

    (委員) 「様式を残しています」と書いてあるが、どの部分をいっているのかが不明です。現物は明らかに江戸期のものです。表現がおかしいと思います。

    (委員) 江戸の終わりには、まだあそこになかったわけですから。近年、どこから持ってきたということですよね。

    (委員) 昭和3年刊行の『西多摩村誌』の写真にも宝篋印塔はないですね。

    (事務局) 取り敢えずの措置として、説明板を外してしまいましょうか。付けなおすというのは、予算面から大変難しいです。本来ならば、正確な表記に書き換えて、板自体を作り直すということがベストでしょうけれども、早急にそのような対応がとれないので、板を外すというのも選択肢の一つとして考えられます。
     直さなければいけないところは直すということで、委員の方々の意見の一致を見ていることだと思いますが、当面、あのままで置いて、直す内容を検討しておいて、直せるときがきたら直すのか、それとも今、外してきて、新しいものが作れる時に作り直すのか、今の状態で、上から修正テープで対応するのか、その方法をどうしたらいいのでしょうか。

    (委員) 引き上げてしまうのは偲びない。一時的だが、上からテープを貼る方法がいいと思います。

    (委員) 今日も、調査中にかなりの人が散歩しており、いきなり説明板がなくなってしまうと、やはりおかしいと思うと思います。

    (委員) 外したらかえっておかしくなる。

    (事務局) 英文があるのですが。

    (委員) 英文はしょうがないのではないでしょうか。直せるときがきたらその時に直せばいいと思います。

    (委員) 日本語の部分で、確実に違うところだけ直せばいいのではないでしょうか。

    (委員) 「室町後期の様式」は「江戸初期」ということでしょうか。

    (委員) 「江戸初期」とは断定できない。隅飾が江戸初期の場合はもっと倒れていますが、この塔はより直立に近い。ここが「室町の様式云々」だろうと思います。

    (事務局) そもそもの指定は「伝三田雅楽之助平将定等の墓」としての五輪塔なので、直接関係のない宝篋印塔をそこまで説明する必要があるのか。

    (委員) それと関係して、五輪塔が本来の墓だということが、この文面ではあまり強調されていない。「左右の五輪塔は」という文章の後にでも、本来の墓は五輪塔なんだということを表す文章を入れたほうがいいと思う。

    (事務局) そうすると、修正テープを上から貼るというよりは、全体を直すことになってしまいますが。私自身も、最初にこの文化財を見た時には、中央の宝篋印塔が墓だと思いました。

    (委員) もし宝篋印塔に触れるのであれば、後に、例えば「昭和の初期に」どこからか持ってきたということを、強調しなければならない。

    (委員) 「いつのころからか」とあるが、これが誤解を生んでしまう。これだと、実際にはいつか判らないが、かなり古いころからあったという感じである。

    (委員) 宝篋印塔については、あまりとやかく説明しないほうがいい。一番上の空輪は明らかに元禄期のものです。元禄の空輪と笠の隅飾の時代が合わないが。

    (委員) そうすると、「江戸中期の様式」がいいのでしょうか。

    (委員) 年代を入れるとしたら「江戸中期」でしょう。

    (委員) 「いつのころから」というのは「昭和の初期」ということでしょうか。これでなんとかつなげないでしょうか。

    (委員) 誰がもってきたかということは書かないで。

    (委員) 誰が持ってきたか判るということは、具体的な地名はわからなくても、ある程度どこから持ってきたかわかるのですか。

    (委員) そんな遠くからではなく、一峰院の裏の墓地辺りから移した可能性があります。または、天王森の中のどこかにあって、それを拾って持ってきたのかもしれません。

    (委員) この文章を生かすとしたら、「昭和の初期に」ということでしょうか。

    (委員) 昭和の初期ではないです。昭和20年以降、戦後でしょう。

    (委員) 昭和3年の『西多摩村誌』はどうなっていますか。

    (事務局) ただいま用意してきます。

    (委員) 石祠と龍蚊社について、全然触れていないで置いてあるという問題もある。

    (委員) 龍蚊社については、「一種の水神と考えられます」と書かれていますし、指定台帳には「龍蚊社は除く」と記載されているので、問題ないのではないでしょうか。

    (委員) なまじ書いてしまうと誤解を招く。

    (事務局) 『西多摩村誌』には、下の部分を欠いた宝篋印塔の写真がのっています。

    (委員) そうすると昭和初期でいいんですね。

    (委員) 台座などを大谷石で囲って造ったのが昭和20年ごろということでしょうか。

    (委員) 「八幡祠(はちまんし)」という呼び方は昔からですか。

    (委員) 『武蔵名勝図会』には「八幡祠」とあります。

    (委員) 『西多摩村誌』の写真を見ると、以前はこの八幡祠が前にあったものが、後へ持っていってしまって横並びにしてしまったと理解できる。本来は、このような形だったと思います。

    (委員) その写真の方がそれらしく見える。今の並び方はどうか。

    (委員) 説明板を作りかえられるなら、この写真を載せたほうがいい。

    (委員) 先ほど現場で採った拓本を見せてください。

    (委員) 写真では低い方、左側の五輪塔の空輪がないですね。

    (委員) どこからか持ってきたのではないでしょうか。

    (委員) 山梨で調査した際に、文字の痕跡はあるんだけれど何が書いてあるかが判らないものがあったのですが、そのお寺の過去帳の中に書いてあった戒名が書いてあったことがあります。先ほどの拓本にも、そのような戒名が出てこないでしょうか。ごくたまにそれで本物だと判ることがあります。

     ―拓本を観察する―

    (委員) あきらかな間違いは「伊奈石」と「室町後期」「昭和初期」ということでしょうか。これ以外は、「といわれている」とかで説明できるのではないでしょうか。『西多摩村誌』には「八幡小祠」と出ていますが、この辺はこれでいいでしょうか。

    (委員) それでいいのではないでしょうか。「八幡祠」の「祠」は、本来の石造物の形式分類からいうと「石祠」になります。それを何の神を祀るために造ったかによって、八幡さまを祀るために造ったものならば「八幡祠」でいいわけですが、これはどうなのでしょうか。阿蘇神社と関係があるのでしょうか。

    (事務局) 一峰院と阿蘇神社というよりは、廃寺となった吉祥寺と阿蘇神社の関係があって、吉祥寺と一峰院のつながりから、間接的に関係があるかもしれません。

    (委員) 「八幡祠」と言ったときの「八幡」は、いわゆる「八幡さま」のことでしょうか。

    (委員) 源氏と三田の関係も調べなくてはいけない。

    (委員) 三田は平氏だと思うが。

    (事務局) 『武蔵名勝図会』では「八幡祠」と断定しているので、当時の認識がそうだったと考えられる。

    (委員) 断定ではないのでいいのではないか。

    (委員) 「龍蚊社」も最後に少しだけ簡単に触れているので、これでいいのではないでしょうか。全く書かないよりは、見る人が理解できていいのではないでしょうか。

    (委員) そうですね。

    (委員) そうすると、「伊奈石」を「砂岩」に。

    (委員) 「砂岩」ですか「砂岩製」ですか。

    (委員) 「砂岩製」の方が字面が合う。

    (委員) 「室町」を「江戸中期」に、「いつ頃からか」は「昭和の初期に」ですね。

    (委員) 「もののようで」は必要ですか。

    (委員) そうすると、『村誌』の成立年代に関わってきます。

    (委員) 本ができたのは昭和3年ですが、編さん事業は大正からはじまっています。

    (事務局) 「あとがき」から類推すると、大正10年ごろに着手していることが判ります。ただし、写真はいつ撮ったかは判りません。少なくとも昭和3年にはこのような形であったということで、いつからかは判りません。

    (委員) 年代が確定できないならば、「昭和の初期にはここにあった」という書き方がいいのではないか。

    (委員) 「昭和の初期にはここに移されていました」というのはどうでしょう。

    (事務局) 「どこから」というのは問題にならないのですか。

    (委員) はっきりと判らないので、説明板には書かないほうがいい。

    (会長) その辺は事務局にまかせますので、今の議論を踏まえて、よろしくお願いします。それでよろしいでしょうか。

    (委員) 構いません。

    (委員) 「一峰院の縁起によれば」とありますが、この縁起には将定についてはどの程度のことが書いてあるのでしょうか。墓のことまで書いてありますか。

    (事務局) そこまでは書いてありません。

    (委員) そうすると、縁起には開基は将定とはっきりと書かれているのですね。

    (事務局) 書いてあります。

    (委員) そこまできちんと縁起に書いてありながら、墓地がはっきりとしていないのは不思議ですね。

    (事務局) 一説によると、三田を滅ぼした北条がこの地を治めた時に、三田側の武将の名前なので、その辺を一掃してしまって、地元の人がひっそりとお祀りをしていたというので、正式な墓ではないかもしれないけれども、これが将定の墓といわれています、という伝承があるときいています。

    (委員) まあ、言い伝え、物語の枠を出ないものですが。

    (事務局) 言い伝えや、寺伝も参考にしなければならないが、あまり評価してしまうと、物語と事実がわからなくなってしまう。

    (委員) たしかに、縁起などに書かれていると、一応は納得しますが、現にあんなみすぼらしいところにお墓があるということについては、疑問が残るのも事実でしょう。

    (委員) 『羽村町史』に「縁起」が載っていましたね。

    (委員) 『武蔵名勝図会』の左側の空輪と風輪が欠けているのが気にかかる。現状の相輪の載りかたは違和感がなかった気がします。

    (委員) むしろ、右側の方がおかしかった。左側はそれなりに合っている。相輪が欠けているのは、この本を書いた当時にはなかったと、我々は解釈するしかありません。

    (事務局) 『町史』に「縁起」の写真があり、そこに「開基 三田雅楽之助将定」と書かれています。

    (会長) では、ここは「縁起」でよろしいですね。

    (委員) この「縁起」に「廟五輪三基 在鎮守社傍」と書かれています。「開祖年月不詳」というのはここからきているのですか。

    (会長) 難しくなってしまいましたね。

    (委員) この3基のうち2基しか残っていないと思えばいい。

    (事務局) その「縁起」がいつのものかということも考えなければならないでしょう。

    (会長) では、この「縁起」は生かしましょう。

    (委員) 本当は、この「縁起によれば」という文章を宝篋印塔の説明の前に持ってこられればいいが。

    (委員) あるところの説明板で、事実関係、文面が絶対におかしいと、そこの教育委員会に言ったところ、その説明板には「文面変更予定」というシールが貼ってあったことがある。そういうのもアリかと思った。あまりにもあちこち貼って直すならば、いっそのこと、「この文面はおかしいところがあるのでいずれ直す予定があります」ということを表示した方がいいのかなと思います。

    (委員) 文字を直す程度ならできるが、文章を入れ替えるとなると全面的に作り直さなければならなくなってしまう。

    (委員) 確実なところだけ貼って直して、最後に「直す予定があります」としておけば、見る人は解ってくれると思います。

    (会長) それでは、いろいろと議論していただきましたが、事務局の方で、「伊奈石」「室町後期」「いつ頃」と、3ヵ所の修正をお願いします。
     それでは、伝三田雅楽之助将定等の墓についての安全確保と説明板の修正についての審議を終わりたいと思います。

     イ その他

    (会長) 次に、その他の議題に入ります。最初に管外視察の件です。事務局よりお願いします。

    (事務局) 次回会議が第3回目になり、例年ですと管外視察を兼ねて、午前中に視察を行い、午後3時頃から会議となっています。管外視察を実施するならば、今年はどこへ行くかということを協議いただければと思います。

    (会長) 今年も同じ日の実施でいかがと思いますがどうでしょうか。

    (委員) よろしいと思います。

    (会長) では、先に日程を詰めたいと思います。

    (事務局) 事務局案としては、議会等の関係もありますので、11月の下旬でお願いしたいと思います。金曜日のご都合はがよろしいということであれば、23日か30日辺りになるかと思います。ただ23日ですと3連休の初日ということになります。

    (会長) 30日でいかがでしょうか。特になければそのようにさせていただきます。次に、視察の内容ですが、ご意見はありますか。

    (委員) 先ほど、現場でも話がありましたが、この機会に石造物の見方について、研修できればと思います。

    (会長) 石造文化財で、最もポピュラーなものを、見てまわるということでいかがでしょうか。

    (事務局) 石造文化財というと、五輪塔や宝篋印塔のほかに、板碑も含めてということでしょうか。

    (会長) 板碑も含めてでどうでしょう。

    (事務局) 山梨の県立博物館などの展示は如何でしょうか。

    (委員) 山梨県の石造物は特殊で、多摩地方とは全然違い、参考にはならないと思います。多摩地域の板碑は殆ど緑泥片岩か一部は伊奈石ですが、それは五日市の郷土館へ行けば済んでしまう。伊奈石の五輪塔もあります。年号が刻まれているものがいくつかあるので、非常に参考になると思います。あと、海禅寺にも多くの板碑があります。ここのは図面が立正大学にあるはずです。さらに、塩船観音にも参考となる板碑があります。ただ、ここは公開してくれるかどうか解りません。専用の倉庫にしまってあります。あそこは中世の墓域で、今でもたくさんの板碑が埋まっていると考えています。

    (委員) 元禄時代の墓はありますか。

    (委員) 近世の墓は詳しくありませんが、古いものはないでしょう。鎖国制度が整い、お寺の檀家制度が確立してくると、お寺が先祖の供養がどうのとか言い出して、○○家の墓地が作られるようになってきます。それ以前は野辺の送りですから、山の方へ行って置いてきて、目印に石なんかを置いてくるというのが庶民のお墓です。

    (委員) 『羽村町史』をやっていた頃、羽村でも「烏八臼」の墓を見たことがあります。どういうことを意味していたかは忘れてしまいましたが、なかなかこの「烏八臼」の墓はないんです。

    (会長) では、事務局とよく調整して、見学先を決めていただきたいと思います。

    (委員) 伊奈石の宝篋印塔のいいのがないんです。山梨にはありますが。伊奈の石がどこまで運ばれたかというのを追跡したら、上野原の手前の棡原に28個体を発見しました。秋山村にもありました。

    (会長) では、11月30日(金)に、石造文化財の見学ということで実施させていただきたいと思います。

    (委員) 雨天の場合はどうしますか。

    (委員) 現物は見られないけれども、傘をさせばなんとかなるでしょう。

    (会長) では、そのようなことでよろしくお願いします。欠席の委員にはこれで連絡していただいて、都合をつけていただきましょう。
     次に、「東京文化財ウィーク2007の参加」について、お願いします。

    (事務局) 前回の会議でもお話しさせていただきましたが、先日正式に申込をしまして、10月から11月にかけて実施される「東京文化財ウィーク2007」に参加します。公開事業としては、例年と同じです。今年もまいまいず井戸の参加は協力が得られませんでした。企画事業については、近代水道拡張事業と玉川上水に関する企画展と、歴史散歩として市内に残る介山の足跡を尋ねてというテーマの事業を計画しています。

    (会長) それでは、一通り本日の議題等が終了しましたが、他に何か連絡事項はございますか。

    (委員) すいません。先ほどの視察の件ですが、青梅市郷土博物館にも板碑が何枚もあるので、いくつかの種類が揃っているのならば、ここを見せていただければありがたいと思います。研修室を借りることもできますし、収蔵庫の中にもスペースがあるので、並べて見ることができると思います。塩船観音は、板碑を広げるスペースがありません。手にとって見ることも難しいでしょう。青梅の博物館なら便宜を図ってくれるでしょう。説明はこちらでやるから、ものと場所を貸して欲しいといえば大丈夫ではないか。

    (事務局) そのように手配してみます。

    (会長) ではそのようにしていただいて、本日の会議を終了したいと思います。

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