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あしあと

    オリ・パラ通信 43 【広報はむら令和2年9月15日号記載】 東京1964大会

    • [2020年9月16日]
    • ID:14033

    東京1964大会


     今回は、さまざまなレガシーを残し、日本を大きく変えた東京1964大会を振り返ります。

    オリンピック

     1964年10月10日、アジアで初めてのオリンピックが東京で開幕しました。第2次世界大戦の影響で1940年のオリンピックを返上した東京にとって、20年越しの悲願でした。20の競技に93の国と地域から5千人を超える選手が参加したこの大会は、国際社会に日本の成長をアピールする場にもなりました。ちなみに、東京2020大会では33の競技に200以上の国と地域から1万1千人を超える選手の参加が予定されています。なお、東京1964大会には、羽村市ゆかりのオリンピアン菅原武男さん(陸上競技ハンマー投)が出場しました。

    パラリンピック

     同年11月8日~12日に開催されました。当時の日本には、設備や道具、法制度などあらゆる面で障害者がスポーツをする環境が整っていませんでしたが、この大会を契機に環境が整えられ、障害者の社会参加の可能性が切り開かれていきました。パラリンピックという名称は、東京1964大会の時に日本のメディアが名付けた愛称で、後に正式名称となりました。

    東京1964大会のレガシー

     レガシーとは大会後に残る「有形・無形の遺産」のことです。 
     オリンピック・パラリンピックでは大会の成功だけでなく、その後に残る良い遺産、いわゆるレガシーの創出が求められます。東京1964大会のレガシーには、東海道新幹線や首都高速道路の整備、体育の日(現・スポーツの日)の制定など、多くのものがあります。
     羽村市でも、ソフトボールやバレーボールの大会が始まり、現在のあらゆるスポーツ大会の原点となりました。また、東京1964大会に向けて前年の9月に「毎月第一日曜日を町の清掃日」と定め、活動を始めました。これが現在の「市内いっせい美化運動」の原点になっています。