戦後70年以上が経過し、戦争体験者が減少していくなか、中学生などの若い世代が戦争や平和について関心を持ち、主体的に学ぶ機会が少なくなってきています。そこで、羽村市と青梅市の中学生を原爆が投下された広島市へ派遣し、被爆施設や資料、慰霊碑等の見学とともに被爆体験者や広島市の中学生との対話などを中心とした平和関連事業を体験することで、戦争の悲惨さと平和の大切さを自らが考え、行動し、平和の大切さを発信できる人として育成するため、「青梅・羽村ピースメッセンジャー」事業を行いました。
初めて顔を合わせた参加者同士で自己紹介を行いました。その後、グループに分かれ、大学生のリーダを中心にグループ名を決定しました。
7月14日(水曜日) 午後7時~9時 青梅市役所
広島平和記念資料館が発行している「学習ハンドブック」に沿って、以下のことについて学習しました。
その後、グループ活動として行う慰霊碑巡りについて、検討しました。
7月24日(月曜日) 午前10時~午後4時10分 羽村市コミュニティセンター
広島訪問時の見学場所を決定し、その順路や経路等の確認など、具体的な慰霊碑巡りの準備や被爆体験者への質問事項の検討をグループ毎に行いました。
また、指導員から被爆体験談を聞く笹口里子さんと旧制広島県立第二中学校23期生のことについて講義を受けました。
午後は、「戦争の歴史~太平洋戦争とはどのような戦争なのか~」の講義を受け、戦争が起きた背景等を学ぶとともに、広島訪問に向けてそれぞれの抱負を書いたメッセージボードを作成しました。
7月27日(木曜日) 午後7時~7時30分 青梅市役所
羽村市長、青梅市長、学校関係者や保護者に対して、参加中学生がそれぞれ抱負を述べ、両市の市長、副市長、教育長から激励を受けました。
出発式終了後には、広島訪問における最終確認を行いました。
(1日目) 8月4日(金曜日)
広島国際会議場で、笹口里子さんから被爆体験談を聴きました。
笹口さんは、原爆投下当時に広島電鉄家政女学校の1年生で、路面電車の車掌として運行に携わっていた方です。広島電鉄家政女学校とは、当時戦況が益々悪化していくことに伴い、運転手や手掌をしていた男性が徴兵される中で労働力を確保するために、1943年(昭和18年)4月に開校された学校であり、勉強をしながら路面電車の運行を行っていました。
原爆投下後、一瞬にして瓦礫だらけの焼け野原となった広島で、路面電車も大きな被害を受けました。しかし、広島電鉄株式会社をはじめ多くの方が復旧作業に携わり、わずか3日後の8月9日に一部の区間ではありましたが、運転を再開しました。笹口さんも、復旧した路面電車の運航に携わったそうです。原爆投下からわずか数日で復旧した路面電車(被爆電車)は、復興のシンボルともいわれています。
被服支廠は、当時のまま現存する被爆建物としては最大級の規模を誇る施設で、軍服などの製造・修理・保管などを行っていました。建物は非常に頑丈だったため、被爆直後は救護所となりました。その様子は、峠三吉の「倉庫の記録」(原爆の被害を受けた直後からの被服支廠の様子を表した詩)にも掲載されています。
※現在は、耐震化の関係により、見学することはできません。
(2日目) 8月5日(土曜日)
旧制広島県立第二中学校(以下、広島二中)23期生の方々から、被爆体験やその後の出来事などのお話を聞きました。
広島女学院中学高等学校の中学3年生と一緒に、グループに分かれてお話を聞き、質疑応答も交えながら、対話を進めていきました。参加者は、メモを熱心にとるなど、真剣にお話を聞いていました。
※広島二中23期生は、中学2年生の当時、広島駅付近で草取り作業中に原爆が投下され、被爆しました。その時、1年生は平和記念公園付近で建物疎開作業に取り組んでおり、全員が犠牲となりました。
(3日目) 8月6日(日曜日)
8月11日(金曜日・祝日) 午前9時30分~午後4時 青梅市役所
8月15日(火曜日) 午前9時30分~午後4時 羽村市生涯学習センターゆとろぎ
広島訪問を振り返り、8月20日の報告会へ向けて、発表の準備を行いました。
8月20日(日曜日) 午前10時~11時30分 羽村市生涯学習センターゆとろぎ
広島へ派遣した中学生と、過去の参加者が集い、ワークショップを開催しました。
報告会をふまえ、「平和な未来に向けて私たちができること」について対話を重ねていき、最後には「平和の思い」をまとめ、「平和の木」を作成しました。
8月20日(日曜日) 13:30~14:30 羽村市生涯学習センターゆとろぎ
一連の事業を通じて体験したことや感じたことをグループ毎に発表しました。会場には、主催者である羽村市長、青梅市長をはじめ、各校の校長先生などの学校関係者や羽村市・青梅市の市民など、計152人の方々が集まりました。
中学生からの発表に熱心に耳を傾け、会場一帯が「平和」について考える場となりました。
平成29年度報告書