この住宅は、羽村市羽西1丁目13番地3号にあった下田季吉氏の家を譲り受け、昭和57年(1982)3月に現在の郷土博物館の敷地に移築復原しました。
記録によって、弘化4年(1847)に建設されたことが明らかになっています。
入母屋づくりの茅葺(かやぶき)民家で、この地方の一般農家の姿をよく示しています。建築後、四ツ間として改造し使用していましたが、移築にあたり当初の広間型に復原しました。
旧来の生活様式をよく守り、建物の改造も少ないことから、この民家で使用されていた生活用具と建物の1,210点が「羽村の民家(旧下田家)とその生活用具」として国の文化財指定を受けました。
この門は、中里介山の大菩薩峠記念館の正門でした。
もとは三ヶ島(現埼玉県所沢市)の徳川幕府に仕えていた眼科医・鈴木家の門でした。
昭和10年(1935)12月に介山がこれを譲り受け、記念館の前に移築しました。
江戸時代中頃の創建といわれ、朱塗りの建築から「赤門」と称し、本郷にある東大の赤門に匹敵すると常に自慢していたといわれています。
記念館閉館後の昭和52年(1977)、中里家より町に寄贈され、昭和59年(1984)12月に現在の郷土博物館の中庭に復原しました。
この門は、もと丹木村(現八王子市丹木町)の千人同心・田中郡次家の門でした。
以前は茅葺屋根でしたが、防火のため今回の改築で瓦葺としました。
中央の2枚の門扉と左右のくぐり戸・2本の柱とその上の梁(はり)は建設当時のもので、200年以上も前のものです。門の左右に各6畳ほどの土間がありますが、ここは使用人の住まいや物置に使われていました。
長屋門はもともと農村でも数が少なく、最近ではほとんど見られなくなりました。江戸時代の門構を知る参考として郷土博物館に移築し再現しました。