江戸の人口の増加に伴い、新たに飲料水を確保す
る必要に迫られた徳川幕府は、庄右衛門・清右衛門
兄弟に多摩川の水を江戸に引くよう命じました。
玉川上水は、承応2年(1653)4月に着工し、同年
11月には羽村の取水口から四谷大木戸(新宿区)ま
での約43kmの上水路が完成しました。
その功績により、幕府は兄弟に「玉川」の姓を与
えました。玉川上水の水は、現在も都民の飲料水と
して利用されています。(平成15年国史跡に指定)
まっすぐ縦に掘る井戸掘り技術が発達していなか
った頃は、水の得られる深さまでスリバチ状に掘って
いたようです。その通路がらせん状になっているため
に、いつの頃からかカタツムリを意味する「まいま
いず井戸」と呼ばれるようなりました。
江戸時代に井戸さらいをした時、鎌倉時代から室町
時代の板碑が出土したといわれているので、古くか
ら使われていたことがわかります。また、この井戸
は昭和30年半ばまで実際に使われていました。
(昭和27年東京都史跡に指定)