「戦争をなくそう」と世界中の人が叫びながらも、実際はウクライナ侵攻やイスラエル、パレスチナ紛争など尊い命が犠牲になる争いが絶えません。当事国の多くの人々が何より「平和」を望んでいるのに。
今年、私は幸運にも高校の長崎研修や大学の講義を通じ、戦争について考える機会を得ました。講演してくださった方々が共通して口にされていたことは、人々の生活が奪われ、その深い傷跡は戦後80年が過ぎてもなお、癒えずに続いているという過酷な現実でした。これまで私は戦争で失われる最大のものは「命」であると考えていました。もちろんそれは事実ですが、研修を経てもう一つ重要な視点に気づかされました。それは人々の「当たり前の日常」が奪われることへの危機感です。被爆者の方は講話の中で、国の方針に反することを述べれば拷問を受け、少しの贅沢をしていれば非国民と呼ばれ、人間の価値は羽一枚よりも軽かったとおっしゃっていました。私たちが今のこの瞬間も過ごしている「当たり前」の生活。その何気ない日常がどれだけ重要なのか気づいたことが、平和とは何かを考える大きな手掛かりになりました。
「平和」という言葉は時に曖昧な、実体のない共通の認識として使われがちです。しかし、私が考える本当の平和の意味はそれぞれの国や民族の文化や習慣、そして一人ひとりのささやかな日常が壊されることなく継続されていることだと考えます。そう考えると対義語である「戦争」は人々の日常を根こそぎ奪い去る暴力そのものといえるのではないでしょうか。
戦争は一瞬にして日常と感情を奪い、そして居場所を奪います。一度失われた「平和」を取り戻すには、気の遠くなるような年月が必要です。「戦争」が一瞬で日常を奪うその脅威を誰もが認識しなければなりません。現在ある戦争は決して遠い国の出来事ではありません。だからこそ、第二次世界大戦の教訓を忘れず、「平和」を繋ぐために私たちは、今の毎日が「当たり前」ではなく奇跡的な恩恵の上にあると自覚していかなければなりません。そして国際協力と対話の重要性を訴え続けて行く必要があります。自分とは異なる背景を持つ相手に敬意を払い、違いを受け入れること。きっと、それが人種差別やジェンダー問題といった、私たちの身近に潜む「小さな戦争」をなくす第一歩になると信じています。
世界中の人々が平和を取り戻し、現在も苦しみの中にある方々が一日も早く穏やかな日々を迎えられるよう願ってやみません。そして私も世界の問題に目を向けて学び、平和構築に貢献できるよう努力していきます。
菊池 美結