戦争を体験した世代として、今の平和な時代に生きる人々へ、あの日の出来事を少しでも伝えたいと思います。
昭和20年8月15日――終戦の日。
当時中学三年生だった私は、学徒動員の中でその日を迎えました。
あれから八十年。今も、あの日の光景と心の震えは忘れられません。
【終戦の知らせ】
昭和20年8月15日、福岡県八女郡羽犬塚。飛行機部品製作工場。
真夏の日差しの下、私たちは学徒動員の作業に従事していました。
正午、ラジオから流れる玉音放送。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」
それが“終戦”を意味することを理解したのは、少し時間が経ってからでした。
戦いが終わったという安堵と、これからどうなるのかという不安が交錯しました。
【焼け野原を越えて】
その後、鹿児島の実家に帰るため、鹿児島本線の汽車に乗りました。
しかし、宇戸と川尻の間――線路の橋はアメリカ軍の爆撃で破壊されており、その区間は重い荷物を背負い、炎天下の中を歩いて越えなければなりませんでした。
途中、見知らぬ人たちと助け合いながら歩いたことを覚えています。
誰もが疲れ、空腹で、けれども「生きて帰れる」という思いだけで歩いていました。
【焼け残った我が家】
鹿児島に着いたとき、西田町 一丁目辺り一面は焼け野原でした。
建物はほとんど焼け落ち、黒い煙の跡だけが街を覆っていました。
しかし、幸運にも我が家は近くの数軒と共に焼け残っていました。
家が残った嬉しさと、周囲の惨状を見た悲しさ――
あの時の胸の中の複雑な思いは、今も言葉に尽くせません。
【戦争を思う】
あの経験を通して、私は心に深く刻みました。
「戦争はするものではない。そして、負ける戦争は絶対にしてはならない。」
戦争はすべてを奪います。
命を、家を、希望を。
どんな理由があろうとも、平和に勝るものはありません。
【昭和100年の今】
昭和から令和へ。
時代は移り、人々の暮らしは豊かになりました。
けれども、世界では今も争いが絶えません。
私があの日歩いた焼け野原を、二度と若い人たちに見せてはならない。
そう願って、筆をとりました。
平和こそ、一番の宝です。
この記録は、戦中・戦後を生きた一人の中学生の思い出として書き残しました。
これを読んだ方が、どうか平和の意味を思い出していただければ幸いです。
佐瀬 久行