阿蘇神社は、社伝によると推古天皇9年(601)に創建されたといわれる古社で、古来多摩川を望む崖の上に鎮座しています。
本殿は、一間社流造のこけら葺き屋根で、延宝4年(1676)の造立です。江戸時代初期の神社建築の貴重な資料となっています。また、附として棟札9枚も指定されており、中でも「天文5年(1536)」の棟札には三田氏一族の名前が見えます。
明治から大正を経て昭和時代の初めまで、羽村は養蚕の盛んな村でした。養蚕は、生糸をとる繭を作らせるためにカイコを育てることです。無事に一頭のカイコを育て上げるには、餌になる桑を栽培することも含めて、さまざまな用途の多くの道具を使用します。羽村市郷土博物館に収蔵されている養蚕関係資料は、都内に残る、当時の技術や方法がわかる貴重な一括資料で、そのうち141種8,398点が指定されています。
JR羽村駅東口近くの五ノ神社境内にあります。まっすぐ縦に掘る井戸掘り技術が発達していなかった頃、水の得られる深さまでスリバチ状に掘り窪めていたようです。そこへの通路が螺旋状にめぐっているために、カタツムリを意味する「まいまい」の名が付けられました。いつの頃からか「まいまいず井戸」と呼ばれるようなりました。
江戸時代に井戸浚いをした時、鎌倉時代から室町時代の板碑が出土したといわれているので、古くから使われていたことがわかります。
樹齢800年とも1,000年ともいわれる古樹は、幹の周囲6.1メートル、高さ約18メートルを測ります。厳密にはスダジイです。平将門を討った藤原秀郷が植樹したという伝説があります。近年の降雪や台風で枝が折損するなどの被害を受けましたが、まだまだ樹勢は旺盛です。
玉川上水に架かる羽村橋と奥多摩街道を隔てて聳える大樹で、幹の周囲は5.5メートル、高さは約24メートルで、樹齢は400年とも600年ともいわれています。多摩川の形成した河岸段丘の縁に生育し、崖線からの豊富な湧水が樹木の生長を助けています。
樹枝全体が鞠状をなした樹容は壮観で、都内有数のケヤキの名木です。